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Dragon Ashとは?KJってどんな人?嫁は?

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今や日本のロックバンドの重鎮、Dragon Ash
そもそもDragon Ashってどんなバンド?
ボーカルのKJってどんな人?

音楽に特化した情報メディアTrendy Japanがそんな疑問を全て徹底解説!

Dragon Ashとは

Dragon Ashの画像

Dragon Ash(ドラゴン・アッシュ)は、日本のミクスチャー・ロックバンド。JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント内のレーベル、MOB SQUAD所属。CDの総売上は1500万枚以上。
ロック、パンク、ヒップホップ、エレクトロニカ、ラテン、レゲエなど、様々なジャンルの音楽を取り入れた6人組のバンドである。
バンド名の「Dragon Ash」はKjが考えた造語であり、”drag on ash”(だらだらしていたら灰になる)という意味を込めているという説があるが、元ベーシストのIKÜZÖNEはFAN CLUB(D.A.CREW)の会報でこれを否定している。
関西で開催されるロックフェス『RUSH BALL』や『京都大作戦』には開催当初からラインナップに名を連ね、これらのフェスを有名にしたひとつの要因でもある。
また、ROCK IN JAPAN FESTIVALの初年度から全て出演し続けており、過去16回の出演中、7回でトリ、そのうち2回は大トリを務めている重鎮だ。

Dragon Ashの経歴

Dragon Ashの画像2

1996年に桜井誠(ドラム)、馬場育三(ベース)と共にDragon Ashを結成。1997年2月21日にミニ・アルバム『The day dragged on』をリリースしメジャーデビューを果たした。

ここから、ミニアルバム、1stシングル、1stアルバムを立て続けにリリースするも販売枚数は伸び悩んだ。
「これが売れなかったらバンドは解散しよう」と決めて1998年5月21日にリリースした2ndシングル「陽はまたのぼりくりかえす」がヒットしバンドは存続。続けて7月23日に3rdシングル「Under Age’s Song」、9月2日に2ndアルバム『Buzz Songs』をリリースしロングセールスとなり70万枚以上を売り上げた。

一般的な認知度が高まっていったのは、1999年3月3日、4thシングル「Let yourself go, Let myself go」をリリースし70万枚を売り上げてからだ。また、この曲からDJ BOTSが正式メンバーに加わる。そして5月1日、のちに波乱を呼ぶことになる5thシングル「Grateful Days」、6thシングル「I LOVE HIP HOP」を同時リリース。「Grateful Days」はバンド初のオリコン1位を達成。約90万枚のセールスを記録しHipHopというジャンルを広く知らしめる。

メンバー

Kj(ケイジェイ、降谷建志(ふるや けんじ))

ボーカリスト、ギタリスト
作詞・作曲も担当。父親は、俳優の古谷一行。既婚者であり、妻はタレントのMEGUMI。
全楽曲の作詞、作曲を手掛けるDragon Ashのリーダー。高く透き通る様な声と力強い魅力的な声を携え、劇的な音楽を絶えず生み出している。ストイックなまでに音楽の可能性を欲し、抜群の音楽センスと行動力で進み続ける彼の姿勢は、Dragon Ashの原動力にもなっている。プロデュース業も営み、各方面での活躍ぶりも最たる者。Dragon Ashにとって必要不可欠なカリスマアーティスト。

MAKOTO SAKURAI (マコト サクライ、桜井誠(さくらい まこと))

ドラマー
Kj、BOTSとは同級生。HIROKIと共にendiveとしても活動している。ライブではMCを担当することが多い。趣味はゲームと料理で料理本を出版している。また、ライブやフェスでも「桜井食堂」として出店している。

BOTS (ボッツ、佐藤哲也(さとう てつや))

ターンテーブリスト
1999年加入。正規メンバーとなる前から、PVやライブに参加していた。近年のステージではターンテーブリストとしてスクラッチを刻むだけではなく、ティンバレスを叩く姿も数多く見られる。

HIROKI (ヒロキ、杉山弘樹(すぎやま ひろき))

HIROKI (ヒロキ、杉山弘樹(すぎやま ひろき)):ギタリスト
2003年加入。Dt.やstrobo、そして桜井誠とのユニットendiveなど様々なプロジェクトでも活動し、他のアーティストへの楽曲提供やプロデュースワークなども行っている。

DRI-V (ドライブ、千葉雅紀(ちば よしのり))

ダンサー
2003年加入。RIP SLYMEの紹介で加入。ヒップホップ、ブレイキン、パントマイムなどダンスのあらゆる要素を独自の解釈で取り入れて活動。「DRI-V DANCE SCHOOL」として都内でダンスインストラクターとしても活動している。

ATSUSHI (アツシ、高橋アツシ(たかはし あつし))

ダンサー
2003年加入。Dragon Ashの曲の振り付けを担当。こちらもRIP SLYMEの紹介で加入。2009年、プロジェクト「POWER of Life」を発起。

KenKen (ケンケン、金子賢輔(かねこ けんすけ))※サポートメンバー

ベーシスト
RIZEのベーシストで、IKUZONEが左腕神経麻痺で療養していた2011年6月以降のライブに参加

KJのソロ活動

2015年、KJはDragon Ashの活動と並行してソロプロジェクトをスタートさせた。3月16日発売の配信シングル「Swallow Dive」、完全生産限定シングル「Stairway」をリリース。作詞・作曲はもちろんの事ながら、全ての楽器演奏、歌録り以外のレコーディングまで自ら行ったという1stソロアルバム『Everyting Becomes The Music』を発売。「歌や楽器の天才じゃなかったからこそ作れたアルバム」と降谷は話す。
以下KJ曰く
「Dragon Ashはロックバンドだから、等身大よりは、“マッチョイズム”みたいな鎧を着るような部分はあるけど、それでも同じ人間が曲を作っているわけだし、バンドでできないことは、特にないので。やらないことは、いっぱいあるけど。だから、ソロアルバムを作りたいと言うよりも、“全部の楽器を自分でやりたい”という気持ちの方が、どちらかと言えば大きかったのかな。」

参考”http://www.oricon.co.jp/special/48038/”

 

ソロ音源

2011年、胃潰瘍による休養

多発性出血性胃潰瘍の治療のため入院したと公式サイトで発表した。東京・新木場の若洲公園で開催されたイベント『ROCKS TOKYO 2011』の時点で体調不良を訴えており、点滴と薬による処置で出演したが、その後の精密検査の結果、1ヶ月ほどの療養が必要と診断され緊急入院が決まった。

KJの愛用ブランド

降谷建志はおしゃれなファッションを着こなす人物としても名高い。
愛用しているファッションブランドとして名が挙げられるのは『COOTIE』
昔から愛用しており、仕事やプライベートでも身につけている。
また、展示会にも脚を運おり、Dragon Ashの10周年記念としてCOOTIEとコラボレーションしたTシャツも発売された。
他にも「Ally & Dia」も愛用している。『Ally & Dia』は親交のあるロックバンド「山嵐」のベーシスト・武史がプロデュースしているブランド。
どちらのブランドも要チェックだ

kjのおしゃれ写真1

kjのおしゃれ写真

kjのおしゃれ写真

嫁は元巨乳グラビアアイドルのMEGUMI

降谷建志の嫁MEGUMIとは2008年7月7日に結婚。2009年2月6日には長男が誕生。降谷建志と嫁MEGUMIの結婚のきっかけは妊娠。妊娠したMEGUMIは、降谷建志に「これはもう分かっているよね?」とストレートに逆プロポーズ。降谷建志と嫁MEGUMIは仲良し夫婦として知られており、結婚記念日に旅行へ行った様子や、家族で旅行した話をMEGUMIのブログに載せられている。また、女性誌では、家族でボルダリング楽しむ姿も掲載されている。

kjとMEGUMIの写真

KJの交友関係

JESSEとKJ

KJが16歳の時にJESSEと初めて会った。
初めの印象は最悪で、挨拶でJESSEがキレたとか。
そんな2人の対談はこちら。

ZEEBRAとKJ

Dragon Ashのシングル「Grateful Days」にZeebraがゲストボーカルとして参加。
最終的には90万枚を売り上げ、Dragon Ash最大のヒット曲となった。
そんな2人だが、2000年発売のシングル「Summer Tribe」があまりにZeebraに似過ぎていたことから、各方面から批判を買い、Zeebraも批判するようになる。
「Grateful Days」レコーディング時に同発される「I LOVE HIP HOP」を聞かされ、”えっ?そこまで言っちゃうの?” と感じたそう。また英語でラップし最後の一行だけ日本語に戻るというラップも既にZEEBRAがやっていた手法。その時点で既にKjへの不信感を持ったそうだ。その後の作品ではKJの声もフロウもZEEBRAのスタイルに類似していく。
2002年、キングギドラの楽曲「公開処刑」で、「Grateful Days」で共演があったDragon Ashの降谷建志に向けて、批判した。

これに対してKJは

Kjはこの事を受け止めて生きていくと表明し、アンサーソングは出さないとしている。
パクリ疑惑については、ZEEBRAさんに敬意を称したためにあのような形になってしまったとしている。
降谷建志は、ミュージシャンを引退する事まで考えていたが、その後に発表されたDragon Ashの楽曲は明らかにその影響を受け、ラップでの表現を止めて歌唱での表現に変化していった。

現在は

Zeebraの自伝には、「公開処刑の真相」も明らかにされており、KJに対する思いが書かれている。「公開処刑」の後に出したDragon Ashの曲は、オリジナリティーがあって良いなどと述べており、現在はわだかまりはないそうだ。

Dragon Ashの代表曲

Life goes on

FANTASISTA

Grateful Days

Let yourself go ,Let myself go

Deep Impact

 

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